サリーを着て額にはビンディーでタージ・マハルへ行こう。。。

20代の初め、カトリックのシスターとインド各地の修道会を訪問しました。

 

その頃、わたしは「人一倍敏感な」人というよりも神経質な人と周囲に思われていました。

「日本にいてもしょっちゅうお腹を壊すんだからインドに行くなんて止めたほうがいい」と言われて、

でも行くって決めちゃったんだから、じゃあどうすれば大丈夫になるかって考えたんです。

 

そしてエアー・インディアの飛行機の中で思いついたのが、

「そうだ!わたしはインドで生まれ、インドで育ったインド人だと思えばいいんだ」というアイディアでした。

 

この一つの情報は最強でした。

駅の構内の床にたくさんの人たちが寝ていても、乗り込んだバスのシートにハエがびっしり止っていても、大勢の物乞いの人たちに囲まれても平気。だってわたしはインド人だからこんなの当たり前!

 

 

旅行はほとんどの日が現地の乳児院や学校の訪問だったのですが、日程中タージ・マハルのある観光地に行く日がありました。

 

これはピンチ。きっと日本人観光客がいっぱいいて、このまま行ったらたぶん日本語で話しかけられちゃったりして、自分が日本人だって思い出しちゃう。どうしよう?って、また考えました。

 

その日はサリーを着て、額にはビンディーを貼ることにしました。

「よし、これでバッチリ。どこから見ても謎のインド人だわ。これでよし!」

 

本当にそれで大丈夫でした。

 

もしも、他人から「インドに来たんだから当たり前でしょ」って言われたら、

それは捉え方が正反対。

 

暑くて嫌だ、40度超なんてあり得ない、ハエがいて無理とかね。

「どうしてインドに来てそんなわがまま言ってるの」ってなっちゃいます。

 

でも、他者からわがままだと思われるか、思われないか、そんなことは本当に全然関係ない。

わがままなのか、あるがままか、どちらも自分で選べるし、自由自在に変えることもできるんです。

 

 

ましてや、2歳の子どもたちが「魔の2歳児」なんて呼ばれて、

よく知らない人から「ああ、わがままに育てちゃって…」なんて言われても、本当に全然気にしなくていいんです。

 

2歳の子にわがままって言う人がいるとしたら、2歳児がどんな状態だったかって、その人は完全に忘れているんですから。

 

この時期に自分が放出したエネルギーを感じきって、秩序だててもう一度身の内に収めることができれば思春期の荒波は安々と乗り越えられます。

 

2歳児を躾けようとして褒めたり叱ったりすると、これを阻害してしまうことになります。

上手に収める方法を教えても、「自分で」じゃないと納得できないから結局やり直しになります。

 

手伝わずに、ゆっくり見守るというのが、結果としては一番早いのです。