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自分を信じるというのは、表に見えている自分だけでなく自己の内側の見えないところも含む、全てを包摂した「わたし」を信じるということです。 今の時点の自分を認めないところを出発点として何者かになろうと頑張る人生を生き続けていると、自己否定が常態化してしまい承認欲求が止みません。...

わたしが19才の頃のことだ。 父と電車に乗った。 平日の正午過ぎの電車は空いていて、 わたしと父は並んで座った。 「わたしは『社会不適応者』なの?」 って尋ねた瞬間、涙がこぼれた。

娘の小学校の今年の運動会。 引き分けだった。 「赤組28点 、(間が空いて)白組28点。れいわ元年の運動会は引き分けでした」 放送が流れて、一瞬の静けさの後、校庭に爽やかな風が通り、ホッと気の緩む音がはっきりと聞こえてきたかのように感じた。柔らかな空気に包まれて心地よい拍手の音が響き渡った。...

4年生までは何度も娘の小学校に足を運んで先生と話をした。その結果、宿題無し、お弁当持参等等、娘は「皆んなと違う」まま、娘のペースで小学校に通った。  

大学生時代、フランス語のクラスでいつも私の隣の席に座って面倒を見てくれたのりひさくんがある日こう話してくれました。...

「さすがよね。『これは何?』って聞かなかったもん。『これは迷路ね』って言った。

人は誰もが愛し愛されてご機嫌で生きる。これ、デフォルトだから。

子どもは決して叱ってはいけない、叱るのは弱い者をいじめた時、それだけを叱るようにと教えてくれました。

日本にいてもしょっちゅうお腹を壊すんだからインドに行くなんて止めた方がいいって言われても、もう行くって決めちゃったんだから、じゃあどうすれば大丈夫になるかって考えました。

こぼれる笑顔とともに「ここに来て良かった」と安堵する、その瞬間の美しさは、まるで映画のワンシーンのようで、これを見ることができるのって、本当にものすごい役得。

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